2013/06/01

差別という学び

ヘイトクライムが多発するニューヨーク(twitter)。
最近頻発しているのはゲイに対する被害ですが、人種的な差別も根強く残っています。

先日私も人種差別かもと思われる、ちょっとした被害に遭いました。

休日の夕方、地下鉄ホームで電車を待っていると、
急行から各停へ大騒ぎしながら走って乗り移る、10代後半くらいの黒人キッズ4人組がいました。
各停に乗るや否や、食べていたポテトチップスの缶をホームに投げ捨て。
ポイという感じではなく、投げつけたという風で、
わざとかどうかはわかりませんが、それが歩いていたアジア人女性に当たりました。
女性は当惑しながらもその場を去っていきましたが、
その後も、仲間の一人を車外に押し出したり、とにかく大騒ぎ。

ドアが閉まり電車が走りだすと、今度は無理やりドアをこじ開けようと必死。
何をしでかすのかと見ていると、私の前に来たところでこじ開けたドアの隙間から私にかかるように唾を吐きました。


線路から少し離れたところに立っていたため、多少頭にかかった程度で済みましたが、なぜそんなことをされたのか、とにかく驚きました。
私が彼らを見ていたことが気に食わなかったのか、アジア人女性に対する嫌悪感なのか、理由はわかりません。
そのときは、次の電車で戻ってこられたりすると面倒なので、場所を移動し、その後は何事もなく帰宅しました。

実は10年前にも、ヘイトクライムらしき被害に遭ったことがあります。

夜12時前頃だったか、ミートパッキングディストリクトから、当時住んでいたウエストビレッジの家まで、徒歩10分ほどの距離を帰宅中、携帯電話で日本語で話しながら歩いていました。
すると、前からランニングをしてきた30代くらいの筋肉隆々の黒人男性が、突如私の首にラリアート。
私の体は吹っ飛ばされ、携帯も荷物も放り出されました。
男性はそのまま走り去っていきましたが、
私が悲鳴を上げたため、目の前のアパートの受付にいたお兄さん(白人)が驚いて出てきて警察を呼んでくれました。

幸い、ムチウチもなく、擦り傷くらいで済みましたが、なぜそんなことをされたのか、その後しばらく悩みました。
夜中に歩いていたのが悪いとはいえ、そこは高級住宅街。
人気が少ないとはいえ、夜歩くべきでない場所ではありませんでした。
その男性は、こぎれいなランニングウェアを着ていましたし、その辺を走っているということは、近くに住んでいたのだと思います。
たまたま何か気に入らないことがあっただけなのかもしれませんが、
私はそのとき少しお酒が入っていたため、電話で話す声が多少大きかったかもしれないこと、
そして、日本語で話していたことが気に障ったのだろうというくらいしか、
そんなことをされる理由は思い当たりませんでした。

アメリカ人にとっては、日本語も中国語も韓国語も同じに聞こえるそうで、
音域のせいなのか話し方なのか、聞いていてあまり心地よいものではないそうです。
以前一緒に住んでいたアメリカ人のルームメイト(白人女性)からも、そのことで少し不満を言われたことがあります。
いずれにしても、このラリアート事件以来、アメリカ人の前で日本語で話しをするときは、大声や早口にならないよう、注意するようになりました。

米バスケットボール界のスーパースターとなった、台湾系アメリカ人のジェレミー・リンさんも、アジア人であることで差別を受けたと告白しています(60ミニッツ)。
大学からの推薦もNBAからのオファーもなかった理由は、自分がアジア系アメリカ人であることだと。
そして、試合中にアジア人向けの差別用語を何度も発せられたこと、
最後に、それがあったから強い人間になれたと語っています。

もちろん、アジア人だけでなく、他の人種に対する差別もあります。
特に、黒人に対する差別はより深刻で、根強く残っています。

以下、以前60ミニッツで放映された、映画のようなストーリーです。

****要訳****
高校アメフト部でラインバッカーとして活躍していた、ブライアン・バンクス。
大学チームからも声が掛かり将来が期待されていたが、17歳の時、クラスメートの女の子が突如バンクスに誘拐されレイプされたと主張。
バンクスは無実を主張し、DNA鑑定でも陰性の結果が出たが、裁判までに1年間掛かり、その間刑務所に拘留され、大学チームへの推薦は取り消された。

いよいよ裁判となったが、弁護士からは彼の年齢と人種(黒人)、体の大きさから公正な裁判が行われない可能性があると脅された。
容疑を認めて懲役41年の可能性を18カ月~5年に軽減すべきと説得され、渋々認めたバンクスに5年の懲役が科された。
22歳で刑務所を出たが、足には監視用装置が付けられ、性犯罪者としてのレッテルを生涯背負わなければならなかった。

ある日、フェイスブックに友達申請が来た。
自分の人生を台無しにした、クラスメートの女の子からだった。
信じ難い気持ちで、なぜ友達申請をしたのか問うと、過去のことを忘れてデートしないかと言ってきた。
彼女は、バンクスを訴えた後、安全確保に問題があったと高校側を相手取り訴訟。150万ドルを勝ち取っていた。
バンクスは、無実の罪を晴らすチャンスかもしれないと、私立探偵をしている友達の父親に協力を依頼し、隠しカメラを設置した部屋で彼女と再会。
彼女に冤罪を晴らすための協力を依頼すると、協力してもいいが高校側から受け取った金は返さないと条件を付けた。
後日、探偵と共に再び彼女と会い、彼女はレイプも誘拐もしていないと証言。
この時のビデオを元に再審を行い、バンクスは無罪判決を勝ち取った。

その翌日、バンクスの携帯に電話がかかった。
大学チームへのアメフト推薦をしたヘッドコーチだった。
NFLチームのコーチとなっていた当時の大学ヘッドコーチは、バンクスにチームのトライアウトを受けるよう勧めた。
トライアウトの結果、残念ながら、そのチームにも他に声をかけてくれた5チームにも入ることはできなかったが、マイナーリーグでプレーするチャンスが与えられた。
27歳の彼は今でもNFLに入る望みを捨てず、自分を陥れた女の子も恨んでいないという。
****

彼が白人だったなら、こういう事態にはならなかったかもしれません。
自分の運命を受け入れ、人生を狂わせた相手さえも赦してしまうバンクスさん、本当に素晴らしい人格の方なのだろうと思います。

日本に住んでいると、あまり感じることはないと思いますが、
多民族国家であるアメリカにいると、他人との違い、そして、自分が日本人、アジア人であることを意識せざるを得なくなります。
私に起こった二つの「事件」は、リンさんやバンクスさんの経験と比べれば取るに足らないものですし、差別だったのかすらわからないことですが、
いずれにせよ、何かを学ぶための必要な試練だったのだろうと思います。

恐らく、地下鉄の一件は忍耐力、ラリアートは、注意して歩くことと人への感謝が、私にとっての学びだったのだろうと思っています。
(実は、ラリアートの時、その後黒人男性が戻って来たのです。
アパートのお兄さんが一緒にいることに気づき、逃げていきましたが、彼がいなかったら私は今この世にいないかもしれませんから、そのお兄さんには今でも感謝しています。)

人種や性的指向によって差別されるのは、努力してもどうにもならないので、辛いことです。
過去は過去、今は今、他人は他人、自分は自分と、違いを違いとして受け入れられるようになれば、差別意識はなくなると思いますが、なかなかできないことだからこそ、差別も人生の学びのひとつなのだろうと思います。
人生、難しいですね。

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